死が怖い、タナトフォビアになりやすい人の特徴。暇人思考マニア自分大好き人間!?

多くの人にとって「死」は恐怖の対象ですが、それが日常生活に支障をきたすほど深刻になる場合もあります。この「死恐怖症」または「タナトフォビア」について、精神科医のコラムで見つけた「タナトフォビアになりやすい人の特徴」を紹介しながら、死に対する恐怖とその原因を考えていきます。

突然襲うタナトフォビア|きっかけが見えない恐怖

タナトフォビアは、最近ではメンタルヘルスの分野でも注目されています。「人の死に直面するとタナトフォビアになることがある」といった説明も見かけますが、実際にはそれほど単純ではありません。わたし自身も過去にタナトフォビアを抱えていたので、この恐怖のリアルさが身に染みています。

たとえば、ある特定の時間帯になると急に「死ぬのが怖い」という感覚が押し寄せ、心臓がバクバクする。日中には平気でも、夜になって突然死を意識してしまうこともあります。こうした「理由が見えない恐怖」が、タナトフォビアの特徴です。

タナトフォビアになりやすい人の特徴

以下は精神科医が挙げた「タナトフォビアになりやすい人」の特徴です。

  • 食うに困らないヒマ人
  • 過度の厭世思想(無神論者・唯物主義)
  • 思考実験マニア

少し辛辣な分析ですが、タナトフォビアの人にとっては妙に納得できるものです。さらに、わたし自身の経験から「自分大好きタナトフォビア」も追加して解説していきます。

1. 食うに困らないヒマ人

「暇で、日常が満たされているからこそ、死ぬことを考える余裕がある」というのが、このタイプのタナトフォビアです。生活が忙しく目の前のことに追われていると、死について考え込む時間がないため、タナトフォビアの発作も和らぎやすくなります。たしかに、仕事や生活が忙しいときには、死への恐怖はほとんどありませんでした。

人は暇や孤独な時間があると、ふと不安を感じるもの。タナトフォビアの発作が起こりやすいのも「ヒマなとき」であることが多いのです。

2. 過度の厭世思想(無神論者・唯物主義)

厭世思想とは「人生やこの世界には価値がない」と感じることです。無神論者や唯物主義者に多い特徴で、「死んだ後には何も続かない」と考えやすいため、死への恐怖を引き起こしやすいのです。

一見、世の中を冷めた目で見ている彼らですが、その根底には「自分が無価値になるのが怖い」という感覚が隠れていることがあるのかもしれません。「この世は無意味だ」と思いながらも、同時に「生きている価値が消える」ことに怯えている。その矛盾がタナトフォビアを引き起こしているように思えます。

3. 思考実験マニア

思考実験とは、理論的に物事の真理を探る手法ですが、これに没頭しすぎると、出口のない恐怖を感じるようになることがあります。「死後はどうなる?」「死とは?」といった問いに延々と向き合い続けると、タナトフォビアに陥りやすくなります。

たとえば、死の受容プロセスを提唱した精神科医エリザベス・キューブラー・ロスは、生涯死を研究し続けましたが、最後にたどり着いた結論は「死後には何も続かない、永遠に意識は閉じ込められる」というもの。彼女自身もその結論に悩まされ、タナトフォビアに陥ったと伝えられています。

番外編:自分大好きタナトフォビア

最後に私が感じる「自分大好きタナトフォビア」についてご紹介します。これは、「自分が大好きで、自分が消えてしまうのがもったいない」と感じるあまり、死への恐怖を強く抱くタイプのことです。

「この世でやりたいことがたくさんある」「自分には特別な価値がある」というポジティブな自己愛が、死を「絶対に避けたいもの」にしてしまうのです。ある意味では楽観的で自信家なタナトフォビアといえるかもしれません。

「思考の沼」にハマらないために

タナトフォビアの原因を深く考えすぎると「思考の沼」にハマってしまうことがあります。死は答えのないテーマであり、考え込みすぎると心の安定を損ねかねません。この問題には「人と共有すること」が非常に有効です。自分ひとりで考え続けるよりも、誰かと話して「死」についての思考を分かち合うことで、「悩み」ではなく「学び」に変えることもできます。孤独を感じているときは、他の人の視点を借りるだけで不安が和らぐこともあるでしょう。

死への恐怖は誰しもが抱く感情ですが、その感じ方や受け止め方には個人差があります。タナトフォビアに悩んでいる方もそうでない方も、「死」について考えるときには「自分の思考」に囚われすぎず、誰かと分かち合うことで安心感を得られるかもしれません。

タナトフォビアは思考の特徴。「死ぬのが怖い」をどう生かす?

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