「死ぬのが怖い」と感じるタナトフォビア(死恐怖症)。私自身もかつてはその感覚を持つひとりでしたが、長年の自己対話を経て、いまではこの恐怖もひとつの「生きる糧」として捉えられるようになりました。今回は、タナトフォビアとどう向き合い、それをどう活かせるかについて、経験を交えてお話しします。
死が怖くなった時、どう対処している?
死の恐怖に圧倒されると、思考が閉ざされ、逃れられない堂々巡りに陥ることが多いものです。
そこでわたしの場合、「怖い」と感じる自分を「あえて他人事のように見つめる」という対処法が有効でした。怖さが湧き上がった時、「怖がっている自分がいるな」と俯瞰することで、恐怖そのものに支配されず、落ち着きを取り戻しやすくなりました。
なにを、、?と思うかもしれませんが、これは一種のトレーニングでもあるので、はじめは形だけでもやってみるのをおすすめします。
人それぞれのタナトフォビアとの向き合い方
タナトフォビアは「死ぬのが怖い」という一つの結果であり、そこに至るまでの道のりや思考の背景は人それぞれ。対処法も、自分の中に留める、信頼できる相手に話す、SNSに吐露するなどさまざまです。また、信頼する家族や友人にだけ話したい人もいれば、全くの他人にだけ打ち明けやすいという人もいます。
考えを少し整理したうえで誰かに話してみるというのは、いずれも同じ恐怖を抱える者同士、心を落ち着けられる一つの方法です。
「死ぬのが怖くない?」と聞いて回った子供時代
わたしは幼い頃、「死ぬのが怖い」という感情を抱えきれなくなり、近くの大人たちに「死ぬのが怖くない?」と聞き回った経験があります。
友人のおばあちゃんは「早く死にたい」と言い、実母からは「考えないようにしている」と言われました。幼い頃は納得できなかったものの、今になって思えばいずれもその人なりの“対処法”だったのかもしれません。
SNSで吐露するメリットと注意点
匿名で死の恐怖を吐露できる場として、SNSを活用する人も多いです。同じ恐怖を抱える人たちと共感を分かち合い、「怖いよね」「そうだね」と話すだけでも心の安らぎにつながることがあります。ただし、SNSは感情のぶつけ合いの場にもなり得ますから、一時的な逃げ場と割り切り、「ここでタナトフォビアを根治しよう」とは考えずに活用するのが良い付き合い方かなと思います。
タナトフォビアが与えてくれる「気づき」
タナトフォビアは、死への恐怖を通じて「生きるとは何か」を考えさせる、特有の思考パターンでもあります。怖さに圧倒されて思考を止めるのではなく、「なぜ怖いのか」「何が怖いのか」を少しずつ考えを進めていくと、その恐怖が「どう生きるか」という問いに向き合う手がかりになることもあります。
タナトフォビアを「生きる指針」に
タナトフォビアを俯瞰できるようになると、この恐怖をスローガンのようにして日々の指針にすることも可能です。「死ぬのが怖いからこそ人に優しくしよう」「恐怖があるから一日一日を充実させよう」など、ただの怖さで終わらせず、日常生活での目標に転換するのがわたしにはよく合っていました。
タナトフォビアを思考の特徴と捉える
最近では、タナトフォビアは症状や病気ではなく、思考の特徴のひとつだと考えるようにしています。
“治そう”とするのではなく、タナトフォビアを「携えて生きる」ことで、自分なりの人生の指針にもなり得るのです。
タナトフォビアの克服については、自分自身でゴールを決めていいと思います。「悩むのではなく、思考の特徴として持ち、活用していく」。そう捉えると、タナトフォビアが人生に大切な学びと気づきをもたらしてくれるかもしれません。
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