“死後は無”なのかな問題。死が怖いなら、少し探ってみては?

「死んだら私たちはどうなるのか?」という問いは、古代から人類を悩ませてきた永遠のテーマ。わたしたちは、わからないことに恐怖を抱きやすい生き物です。死後についても「無なのか、それとも何かが残るのか」といった不安を抱く人が多いでしょう。死後が無ならこれからの人生の見方が変わる人がいるかもしれませんし、逆に不安が募る人もいるかもしれませんね。

本記事は「死後が無である可能性」を考えたとき、どう対処すれば不安が和らぐかの一助になればと書いています。

「死んだ後」をいつか知れる日が来るかもしれない

「死後は無になる」「いや、何か残る」どちらの説もよく耳にしますが、結局は「そもそも私たちは何なのか?」という根本的な問いに行き着きます。生命の意味や人間の本質に触れることができなければ、死後も見通せないのかもしれません。

このテーマを象徴する、画家ゴーギャンの絵画にある「我々はどこから来て、何者で、どこへ行くのか」という有名な問いかけ。最近は脳科学や物理学の発展により、脳波や夢を見る脳の動きまで解明されはじめており、生き物の意識の仕組みも少しずつわかってきました。
こうして、死の正体が解き明かされる日も近いのではと感じるかもしれません。

一方で「生きているうちにはわかり得ない」という考え方も根強いです。
たとえば、“二重スリット実験”では、物理的にあり得ない結果が出た途端、観測を始めると物理法則に沿った結果に変わってしまう現象が報告されています。まるで、宇宙が意図的に隠しているかのようです。

わたしたちが「死」をわかろうとするほど、ある一定の大きな壁にぶつかることはあり得るのかもしれませんね。わからないことが恐怖や不安を生む理由はここにもあるのかもしれません。

本当に大切なのは「自分で考えること」

死についての結論にたどり着ける人は、今もいないようです。仏教の開祖ブッダや哲学者カントも「わからない」と語ったと伝えられます。つまり「わからない」というのもひとつの知恵かもしれません。

ただ、こうした無限のテーマについて「自分なりの考えを持つこと」は、もっとも大事なことではないでしょうか。他人の考えをそのまま受け取るのではなく、影響を受けながらも自分の軸を持つ。それが個人の死生観となり、不安に折り合いをつける助けになるはずです。

不安なら「一度受け止めてみる」

「生きているうちは死の真実はわからない」とするならば、結局は「自分なりの折り合いをつける」ことが大事です。多くの宗教や哲学も、まさに「どうしても避けられない死への折り合い」をつけるために生まれたともいえます。

さらに、自分に合った考えを持っていると、たとえ不安を感じるときでも、どこか筋が通った心の支えになります。「自分にとって何が安心材料になるか」を見極めていくと、不安が少し和らぐかもしれませんね。

死への恐怖と「良い関係」を築く

死が怖い、という感情は誰にでもあります。時に「夜、死について考え始めて眠れない」などの経験がある人も少なくないでしょう。心理学では、死への恐怖が強い状態を「タナトフォビア(死恐怖症)」と呼びます。

日々の忙しさの中では、死をあまり意識することはありませんが、ふと心の奥で「いつかは必ず死ぬのだ」という思いが顔を出すものです。

私たちは、「死後は無」かどうかの明確な答えを知ることができませんが、自分なりの死生観を見つけ、少しずつ「死との良い関係」を築くことで、未知への恐怖に少しずつ折り合いをつけていくことができるかもしれません。

結局「死」は怖いし、考えたくない……でも

とにかく死については、わからないことが多すぎます。
大人になって忙しくしていると、死について深く考えなくなるかもしれませんが、気になる人にとっては、それでもどこかで「自分もいつか死ぬ」という思いは拭えないはずです。

「死後は無である」と断言する人もいます。以前、わたしがある著名人(岡○〇〇夫さん)と死について話した際に、「死後は無です!」と断言され、少し驚いたことがあります。彼にとっては信念だったのでしょう。たとえそれが「無」であっても、一つの立派な死生観です。みんなそれぞれ、自分の考え方で不安を和らげているのかもしれませんね。

死と眠りの違い、「でも麻酔は死に似ている?」

「死と眠りは似ている」とよく言われますが、死んだら目覚めないわけですから、心持ち的にはまったく違うものです。眠っている間も意識はありませんが、死はもっと根本的な「消失」に近いのかもしれません。

(外部サイト)ウパニシャッドにおける睡眠からへの考察「睡眠」と「死」のマントラをめぐって

興味深いのは、全身麻酔を受けた人の多くが「死ぬって、きっとあれに近い」と語ることです。意識が突然、スパッと消えて、まるで深い無に落ちていく感覚だといいます。
死の感覚について何か少しでもイメージが持てると、死への恐怖が和らぐかもしれませんね。

死についての考察や心の準備の仕方には終わりがありませんが、少しずつ「考えてみること」で、心の中に安心の場所を広げていければと思います。

もし日常に死への恐怖が大きく入り込みすぎているなら、気持ちを無理に抑え込まず、誰かと話したり、哲学や宗教に触れたりして、自分なりの心の支えを見つけるのも良い手段でしょう。避けるより触れ合うことで、安心して日々を楽しめるようになるのではないでしょうか。

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