「死んだ後、私たちはどうなるのだろう?」この問いは、多くの人が一度は抱くものではないでしょうか。宗教は、この問いに対するさまざまな答えを示してきました。その中でもユダヤ教、キリスト教、イスラム教は「アブラハムの宗教」として共通のルーツを持ち、独自の死生観を育んできました。
今回は、これら三つの一神教の死生観と、それが私たちの生き方に与える影響を見ていきます。
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ユダヤ教の死生観 ―「選ばれた民」の誇りと結束
ユダヤ教は、約4000年前に成立したとされる世界初の一神教です。奴隷の身分だったヘブライ人をエジプトから脱出させた指導者モーセが、「神との契約」を通じて戒律を示しました。これによって、厳しい戒律に従うことで救われるという信仰が生まれ、ユダヤ教の礎が築かれました。
「神に選ばれた民」の誇り
ユダヤ教徒には、「選ばれた民」としての強い意識があります。この誇りと結束は、迫害や困難に対する支えであり、彼らの強さの源でもあります。一方で、この強固な信仰が、外部からは独特の団結と映ることもあるでしょう。
宗派ごとに異なる死後観
ユダヤ教の聖典は旧約聖書ですが、偶像崇拝は禁じられており、神の姿をかたどるものにも祈りを捧げません。死後についても、信じるかは人それぞれです。死後の世界を信じない者もいれば、「ハデス」と呼ばれる世界を想定する派もあります。
また、ユダヤ教には故人を偲ぶ「シヴァ」という喪の期間があり、7日間をかけて故人の思い出を語り合います。この点は仏教の初七日に似たところがありますね。
キリスト教の死生観 ―「原罪」からの救い
キリスト教は、イエス・キリストが「信仰こそが大事」と説いたことからユダヤ教から派生しました。厳格な戒律に縛られていた当時、イエスは「戒律より信仰が重要」と訴え、社会のどんな立場の人でも信仰があれば救われると説きました。この教えが支持され、イエスの死後、キリスト教として広まったのです。
原罪と「最後の審判」
キリスト教では、「死」は人類が背負う「原罪」の代償とされています。アダムとイブが禁断の果実を食べたことで無垢さを失い、それがすべての人に受け継がれる「原罪」となったとされます。キリスト教では、これによって人は生まれながらにして罪を背負い、最終的に「死」という運命を受け入れねばならないと考えられています。
キリスト教には「最後の審判」があり、救世主(メシア)が再臨するときにすべての人が裁かれます。信仰に従って生きた者は、永遠の命が与えられると信じられています。
後から加えられた天国と地獄の概念
天国や地獄の概念は、キリスト教が布教される中で後から加えられたと言われています。生前の体が必要だと考えられるため、伝統的なキリスト教では遺体を土葬する習わしが根付いています。
キリスト教の死生観|信じる者は救われる?死後の世界と葬儀のスタイル
イスラム教の死生観 ―「死後こそ本来の世界」
イスラム教は、預言者ムハンマドがアッラー(神)からの啓示を受けて始まった宗教で、7世紀頃にアラビア半島で成立しました。近年では移民などの影響もあり、ムスリム(イスラム教徒)の人口が増え続けており、2030年には世界の4分の1がイスラム教徒になると予測されています。
イスラム教では、現世は死後の永遠の世界に向けた「準備の場」とされ、死は「アッラーに近づく」ための移行と捉えられています。ムスリムにとって、死後の世界が本来の住まいと考えられ、そこへ導かれるために信仰を尽くします。
豊かな天国と地獄の描写
イスラム教でも「最後の審判」があり、信仰に基づく生前の行いによって、天国か地獄へと分かれて永遠に暮らすとされます。コーランでは、天国における楽園の描写が豊かで、イスラム教徒は日々の礼拝や戒律を守ることで、この理想の地への道が開けると考えています。「死後こそ本来の世界」という教えは、イスラム教の独特な死生観です。
六信五行 ― イスラム教徒の日々の行い
イスラム教には、「六信五行」と呼ばれる信仰と行動の規範があります。唯一神アッラーを信じることを基本に、天使や啓典、預言者、来世、定命といった六信と、信仰告白や礼拝、喜捨、断食、巡礼の五行が重んじられています。これらの行動はすべて、来世でアッラーのそばに導かれるための大切な教えとされています。
聖戦(ジハード)と過激な解釈
イスラム教には「聖戦(ジハード)」という概念がありますが、本来これは「心の中での正しさとの葛藤」を指すものです。しかし一部の解釈で「異なる信仰に対する戦い」と見なされることがあり、これが過激な行動につながる場合もあります。
イスラム教の死生観「死んでからの人生のほうが長い」―死はアッラーに近づくもの
まとめ ― 死生観と生き方の関わり
死後について語る宗教は多いですが、いずれも「死」というテーマに対する不安や恐怖に応えるためのものであり、宗教が異なっても根底にある「死」という存在が私たちの生き方に影響を与えています。宗教の多くは「死後に報いを受けるための生き方」を示し、それが信者にとっての指針となっています。
信仰心を持つ人々は、迷いや困難を抱えても、信仰を思い出して善行を尽くそうとします。こうした「信じる」行為そのものが人の生き方を豊かにしているのかもしれません。私たちも日々の中で少しずつ他者に手を差し伸べることで、より良い生き方に近づけるのではないでしょうか。
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